思考と表現のあいだ

ふとした思いを考え抜いて、つたない言葉で書き出してみた頭の中身。

日々を大切に過ごしましょう!

三が日、いかがお過ごしでしたか?

2017年を迎え、いよいよ世間も元の生活に戻っていきます。

そして1年はあっという間に過ぎていきます。

 

日々の忙しさで、大切なことを見失わないよう、1日1日を大切に過ごしていきたいものです。

 

今日は有名な言葉から。

 

「今日がもし人生最後の日だとして、今日これからやろうとしていることをやりたいだろうか?」

   ー スティーブ・ジョブズ


現代の日本においては、飢餓に苦しむこともなく、
紛争で命を落とすこともない、平和な日々を送ることが出来ています。
寿命も延び、“死” から程遠くなりました。
でも人は必ず “死” を迎えることは間違いありません。

(医療の発展で不老不死も目前!?といことは、一旦置いておきまして。。。)

 

では、あなたはどのような最後を迎えたいですか?

どうか一度、考えてみていただきたいのです。

 

会社で出世することが大切なことですか?

お金持ちになることが大切なことですか?

広い家に住むことが大切なことですか?

異性にモテることが大切なことですか?    etc...

 

自身の最後を考えずして、今ある “生” に本当の意味など見出せないと思います。

今年も最高の1年にする為にも、1日1日を大切に過ごす為にも、
是非とも、自身の最後を考えてみてほしいと思います。

素敵な1年を過ごせましたか?

今年も1年、イロイロなことがありました。

そして、例年通りあっという間だったなと感じます。

年を重ねると、時間が過ぎるのが早く感じる、というのは頷けます。

 

私は、一年の目標を漢字一文字でたてるようにしています。

 

今年は「志」。
何か自分の芯となる思いを見つけようと掲げました。
結果として、自分を見つめる1年を過ごすことが出来ました。
次のステップへ進む思いに気づけたと思います。

 

それを踏まえ、来年の目標は「発」。
今年見つめた自身の志から、外部へ発信していければと考えています。
本ブログも然り。
更新も遅く、内容も自分自身に言い聞かせるような内容ではありますが、
何かの縁で、ご覧になられた方々に、
少しでもプラスとなるきっかけとなれば幸いでございます。

 

また新たな1年が始まります!
来年も最高な1年を送れますように。 。。

モノを減らすこと = やるべき事を減らすこと <後編>

1つモノを手放すと、連鎖的にモノが不要となっていきます。

 

例えば、本。
本が無くなれば、本棚も不要となりますよね。
洋服も少なくなれば、衣替えが不要になることでしょう。
衣装ケースも要らなくなるかもしれません。


モノを1つ手放すことで、付随するモノも不要になるケースが多々みられます。
実際に、家賃で支払っているお金は、自身のモノを保管するためのお金なのかもしれません。
モノが少なければ、狭い家でも大丈夫かもしれませんし、そうであれば家賃も安く済みますね。
支出少なければ、無理して働く時間も減らせるかもしれません。

 

最終的に、モノがなくなってしまえば、管理自体が不要になるのです。
割いていた衣替えや片付けの時間、次の巻はいつ発売かな、壊れてたんだよね、
破損や紛失の心配、将来の不安などなど。。。
アレコレと考える必要もなくなります。

 

モノが無くなることは、そんな人知れず割かれてきた時間や、
実はアレコレと考えていた頭の無駄遣いすらなくすことなんです。


やるべきことが無くなっていくのです。

 

こうしてやるべきことを減らすことで、
自身のやりたいことをする時間に切り替えていけます。

 

今、本当にやりたいことをしている!ということこそ、
実は自身の人生を大切に生きていることなのだと思う、今日この頃です。

 

テクノロジーは日進月歩。
自身のこれまでのことも踏まえると、
未来には新しい技術、より使いやすいモノが生まれていきます。
私なんかは、ポケベルに始まり、PHS、携帯電話、スマホと移り変わってきました。
今のようなインターネットの進化、スマートフォンの登場・普及が想像できたでしょうか?

 

自分の知識だけでは、正確な未来を想像はできません。
(だからこそ、今あるものにより固執してしまうのかもしれませんが。。。)

 

これからも未来では、技術の進歩によって、我々は便利を享受できることでしょう。
お陰様で、より少ないもので、快適な生活を送ることができることと考えています。
つまり、より身軽に生きていくことができるのです。

 

新しい技術により、私達は便利を享受できるのですから、
今の自分の知識だけでは、今あるものが本当に、ずっと必要なモノなのか?
実際には判断は難しいのです。

 

今、本当に必要なものは何なのか?
これからの未来でもずっと使うものなのか?
今一度、考えてみることをオススメしたい。
実際には、今必要なものはそれほど多くない。

 

不要なものを手放すことで、自身の時間を創出することも可能となる。
人生を楽しみ尽くすためにも、"今"を大切に生きよう。
そのための第一歩として、所有物と向き合うことは、今の時代に大切なことだと考えます。

モノを減らすこと = やるべき事を減らすこと <前編>

まだ使える、もったいない、いつか使うだろう。。。

 

そんな思いから、物が捨てられない。
同じものが手に入らないという不安があるから、予備も買う、手放せない。
そんな過去の私。。。

 

今では極力、欲しいモノを買うのではなく、
本当に必要かどうかをじっくり検証してから買うようにしています。
(そうは言っても、欲に負けることもよくあるのですが。。。)
モノ自体もほとんど手放せました。

 

私たちは手放して初めて、新しいモノを得る事ができます。
器は大きさが決まっているのです。
器がいっぱいになったら、新しいものは入りません。
出るのが先、入るのは後から。。。

 

どうか一度、手放してみてください。
本当に必要なモノって、意外と少ないんです。

 

ミニマリストになりましょう!という訳ではありませんが、
現代は何事においても過剰な時代だと感じます。
モノに限らず、食事や仕事量も。。。

 

そんな時代だからこそ、今一度、考えて欲しいんです。

 

"本当に「必要」なのか" と。

 

モノに限らず、やる事も同じです。
例えば、毎日、同じことを繰り返していませんか?
とくに仕事だと、同じ作業を繰り返す日々となってしまいますよね。

 

でもそれって、貴方しかできないことなのでしょうか?
やめる事、代替する事はできませんか?

実際に、その作業もやめてみることで、本当に必要なのかが見えてくるものです。

 

人だからできること、機械や仕組みでできてしまうこと。
しっかりと判断して、自分にしかできないことを深めていくことが、
これからの時代、より重要なことになると考えます。

 

まずは何よりも、"手放すこと・やめてみること"  が第一歩なんだと思うのです。

 

<後編>へつづく。。。

偶然の出会いを大切に。

毎年この時期になると、手帳好きの私は、来年のものを探しに街へ繰り出します。

目的の手帳はじっくりと吟味し、準備をすることができました。

 

買い物を済ませたので、そのままその書店内を見て回ることに。。。
ここ最近は、主にネットで書籍を購入していることもあり、久しぶりの書店です。
ワクワクしませんか、本屋さんって。

 

目に入る沢山の本を手に取っては、パラパラと見て、様々なコーナーを見て回ります。
目的のないこの時間が実に楽しいんです!

 

そして、たまたま手にとった本の面白いこと×2!!
元々は購入予定などなかった本でしたが、即購入。。。
予定外の戦利品。

 

今、私達は多くの情報に支えられているお陰で、
ほとんどのモノが容易に得られる時代となりました。

 

先程の本も、じっくり一考してから購入することも可能です。
衝動買いを押さえ、ネットで他人のレビューを見て、良し悪しを判断して。。。
おかげで失敗の少ない、無駄遣いをしない買い物ができます。

 

、、、でも、偶然の出会いって、タイミングを逃すと、
何の面白味もないものとなるんだな、と思うんです。
他人の評価に振り回され、無難なところに落ち着く。
それって、何にも面白くないと思いませんか?
「なんか面白いことないかなぁ。」なんて、便利さの裏返しなのでは?

 

何事も効率を求められる時代。
目的を果たすことだけが本当に良いことなのでしょうか?
道中をノンビリと眺める時間も、実は大切な時間。

 

便利さと、その弊害。
無難なことと、面白さ。

 

廻り道の先に、新たな面白さが見つかるのではないでしょうか。
未知なことが実は面白さに繋がっていく。。。

 

人生において、「運」「縁」「タイミング」は大切な要素。
時に、目的も持たずに歩き回ることも、
面白い人生を過ごす上では、大切なことなのかもしれません。
偶然の出会いを大切にして生きたいものです。

時間をとること、考えることの大切さ。

更新が随分と滞ってしまいました。

時間管理能力の乏しさで、忙しさに日々を奪われてしまったのです。

そこで、今回のテーマ。。。

 

現代は、非常に「忙しい時代」になっています。

私自身がそうであるように、気を抜くと忙しさに流され、
人生の貴重な時間を奪われていってしまいます。
自ずと「考える時間」から引き離されていくことになるのです。

 

果たして、そんな「忙しさ」は私達の人生を豊かにしてくれるのでしょうか?
答えはハッキリ「否」と言えるでしょう。

 

「忙しさ」により、「考えること」から引き離されることで、
私達は何をすべきか、どこへ向かっているのかを見失っています。
結果、思ってもみなかった、厳しい現実を過ごすことになるのです。

 

自分自身の本当の思いや考えと、冷静に向き合う時間がいかに大切なのか。

少し立ち止まって、自分の考えに思いを至る。。。

 

必要な情報は収集するべきではありますが、
それ以上に、自分なりの答えを持つべきであり、
そこに至る考えの過程こそ、より重要な力となります。

 

私達は今、「忙しい」を理由に、現状の把握や今後の展望を、
真剣に考えて生きているでしょうか??

 

自分人生において、何が幸せなのか。
社会はどうしたらハッピーでいられるのか。
是非ともより多くの方々に、少し立ち止まって考えていただきたい。

 

今の生き方が自分にとって、本当に正しいのか、
どうしたらもっと素晴らしい時を過ごせるのか。

 

個々がしっかりと考えて生きる時代がきています。

コツコツやることの大切さ

今の時代、いわゆる「成功すること」が持て囃され、

多くの成功者と呼ばれる方々が まるで流行のように、

我々の目の前を賑わせてくれます。

それに煽られ、

若くして成功したい!!

楽して金持ちになりたいなどと考えている若者がかなりいる様に感じています。

中には運良く、簡単に成功や大金を手中に収める人もいるかもしれません。

でも、ちょっと考えていただきたい。

本当にそれは自分の実力で、これからもずっと続けていくことが出来るのかと。

 

先日のオリンピックをみて私が感じたのは、

本当に力のある人って、脇目もふれず、

コツコツと「すべき努力」を積み重ねてきた人なんだなぁということ。

 

私は趣味で走っておりますが、フルマラソンでは、

小さくともコツコツとやることの大切さを痛感します。

どれだけ辛くても一歩を踏み出さなければ、前には進めません。

小さくとも、その一歩は確実に自分をゴールに導いてくれるのです。

結局のところ、何事も、コツコツやることが大切なのだと、

これまでの経験も踏まえ、最近はとくに身に染みて感じます。

 

是非、若い方々には一過性の力ではなく、

永続的に自分を高めてくれる能力を身につけていってほしいと思っています。

 

また、今どん底でもがいている方々も、

慌てずに自身の取り巻く環境を、一つ一つ変化させていっていただければと思います。

一つのことが出来なければ、二つのことは出来ません。

まずは一つ一つ、コツコツと積み重ねてみてはいかがでしょうか。

大器晩成という言葉もあるのですから、能力を発揮する時期は人それぞれなんです。別に遅咲きでも良いじゃないですか!

 

 

まずは楽しく、日々をおくることが何より大切なことですね。